妻はまた犬の里親になりたいと言い始めた。
私としては、まだ5頭もいるのでいいじゃないかとも思うのだが、
彼女は一度思い始めると、やらないと気が済まない。
わざわざ京都の鈴虫寺に行き、祈願までするほどだ。
次飼う時も保護犬と決めていたので、色々な所に申し込みをしたけれど、
条件が厳しかったり、希望者多数で色よい返事はもらえず落ち込んでいた。
これ以上落ち込むと、ちょっとヤバいかなと思い始めた矢先、
急に犬を引き取りに行こうと言い出した。
ある里親募集のサイトから、連絡が来たというのだ。
どんな子かときいても、はっきりした事はなにもわからないという。
ただ、以前の飼い主に声帯を切られて、声が出せない子だとだけ。
そんな子が、里子に出されているとあっては、
放っておく気にはなれなかった。
自分も以前入院をした時、気管支を切開して呼吸器をつけ、
ずっとしゃべれない状態の時があった。
声を出せない辛さが痛いほどわかったからだ。
いわれるまま逢いに行き、事情を聞くと、
元の飼い主が痴呆症になってしまって、知り合いが預かった子を、
それまたその方に預けたまま、飼い主と連絡がつかず
自分も飼えないので困っているという。
それならと、うちで面倒を見る事に決めた。
そののち、妻に聞いたサイトを見ていたら、
その子とそっくりの子が掲載されていた。
あれ?
写真も事情も書いてなかったといったけど、
しっかり載っているじゃないか。
ふしぎに思って妻に尋ねると、その人じゃないという。
しかも、その人には里親が見つかったと断られたというのだ。
しかし写真も以前の名前も、確実にその子だった。
恐るべき妻の引き寄せ力!
そしていったいこの子に、なにがあったのか。。。
なにはともあれ、彼女の望みは、お地蔵さんに聞き入れられた。
望みというのは因果なもので、叶わないと余計にストレスになる。
けれども望みとは、自分の希望通りとはいかないが、
かならず叶えられる。
そして、それには条件がある。
願うと共に、それに向かって一心に励むこと。
ぼくはこの子に、Almo(アルモ)と名づけた。
イタリア語で、”天の恵み”という意味を込めて。
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